「シーロー」(Shero)とは「She+Hero」、すなわち「女性ヒーロー」を意味する語だ。その語を掲げる「ゴルフ・シーローズ・プロジェクト」は、アフリカ・ルワンダ共和国の18~23才の女性にゴルフを通じてチャンスをもたらし、ルワンダ社会にもインパクトを与えることを目的とする。
2025年8月20日~22日に神奈川・横浜市で行われたTICAD(アフリカ開発会議)は成果文書「横浜宣言」を採択し、閉会した。宣言では、日本とアフリカ相互の利益に向け、官民連携による経済成長支援が打ち出された。
先んじて2024年に発足した同プロジェクトを率いるのは、2人のアジア人男性だ。主催者でありヘッドコーチを務めるオ・イファン氏と、メンタルコーチとビジネスリーダーを務める野田和男氏。大阪・関西万博での式典出席等に合わせて日本に滞在し、神戸市長への表敬訪問や記者会見なども併せて実施されていた最中、両氏にプロジェクトの現状とビジョンを聞いた。

神戸市長への表敬訪問の際にはエントランスにて大勢の神戸市職員から歓迎を受けた
東アフリカの山岳地帯に位置するルワンダ共和国。国土の多くに色濃い自然を残し、コーヒーや茶の輸出を主産業とする農業国だ。
しかしその名は、部族間対立が極まり1994年に発生した凄惨な内戦、およそ100日間で80万人以上もの死者を出した「ルワンダ虐殺」の当事者国としても知られている。
毎年4月に「Kwibuka」と呼ばれる追悼行事を開催。2025年は大阪・関西万博開催期間とも重なり、5月に万博会場内で開催され、多くの参加者があった。Kwibukaはルワンダ語で「記憶する」を意味し、行事は虐殺が始まった4月7日から100日間続く。

2025年5月8日に大阪・関西万博で開催されたKwibukaにはオ氏、野田氏率いるゴルフ・シーローズのメンバーを含め、多くの参加があった
その傷はいまだ癒えてはいないものの、内戦収束後の成長は目覚ましく、2010年代以降の年間6.5%程度という驚異的な経済成長率は「アフリカの奇跡」と讃えられる。近年はIT産業の進展も著しく、首都キガリ等の都市部では光ケーブル網の整備も進んでいる。
また、内戦による死者のおよそ80%を男性が占めた経緯から、憲法に「国の指導的機関の地位において少なくとも30%を女性が占める」と規定しており、ジェンダー・ギャップの解消が大きく進んでいるのも特徴だ。2024年時点で国会議員に占める女性の割合は60%を超え、女性の政治参加は確実に根付いている。
一方で、女性を抑圧する旧来の価値観も根強く残る。いまだ女性は家業に従事すべきとする価値観は強く、女性がスポーツに取り組む文化が希薄であることにもその一端が覗いている。クリケットやサッカー等のスポーツ経験者は男性ではおよそ70%に及ぶが、女性では30%に満たない。
ゴルフに関しては、南アフリカ出身の名選手ゲーリー・プレーヤーが改修した「キガリ・ゴルフリゾート&ヴィラ」を擁し、素晴らしいコースがあるものの、利用者はほぼ富裕層や外国人で占められ、オ氏、野田氏によれば、一般の女性がゴルフに親しむ機会はまずないという。
ゴルフ自体の競技人口もまだ少なく、ゴルフはルワンダの女性ときわめて縁遠いスポーツだが、それだけにプロジェクトの意義は大きい。

ルワンダ現地での練習の様子
オ氏:ルワンダでの活動は野田さんからの呼び掛けで始まりました。多くの選手を指導してきましたが、まさかアフリカで教えることになるとは思いませんでしたね
オ氏は2015年より、途上国にてゴルファー育成プロジェクトの立ち上げに取り組んできた。当時、ゴルフは2028年のロサンゼルスオリンピックでは種目に含まれなくなる見込みだった。 ゴルフ界を盛り立て、その状況を変えるために、オ氏を初めとするゴルフ韓国国家代表の指導者6人が、まだゴルフが根付いていない国々から才能を見出す取り組みだ。オ氏らはインドネシア、ベトナム、ミャンマー等を巡り、各地の文化や人々の身体特性を考慮して、最終的にミャンマーでの実施を決めた。2016年、オ氏は親交を結んでいた野田氏にも協働を依頼し、いよいよ実施となったが、不運にもプロジェクトはコロナ禍と政変によって頓挫してしまう。プロジェクトは白紙化され、それぞれ次の展開を模索していたところへ、2021年に野田氏からルワンダでの活動について打診があったという。

オ・イファン氏
野田氏:ルワンダとの縁は全くの偶然から繋がったもので、私自身も予想だにしていませんでした。
始まりは、ルワンダでスポーツアカデミーの設立を目指していた半井氏の記事をコンビニの雑誌コーナーで偶然に目にしたことだ。奇しくも半井氏は野田氏と同じく神戸市にオフィスを構えていた。野田氏はすぐさま半井氏を訪ね、ルワンダのスポーツ分野で活躍する人々の紹介を受けた。その後、長年の知己である炭谷俊樹KIC学長、そして、その炭谷学長からの紹介を受けた福岡賢二学長代理の協力も得て、前在日ルワンダ大使のルワムキョ・アーネスト氏との面会に至る。ルワムキョ氏はプロジェクトのビジョンに大いに共感し、ルワンダへの道が開けた。2022年11月には野田氏、オ氏でルワンダへ渡りスポーツ大臣に面会、18~23歳の女性を対象とするプロジェクトが始動することとなった。
当初、プロジェクト名は「ゴルフ・ヒーローズ・プロジェクト」だったという。それを「シーローズ」としたのは、現地のパートナーの言葉によるものだ。ジェンダー平等はルワンダのナショナル・ポリシーであり、ことに女性を対象とするのなら「シーローズ」以外はあり得ない。それほどの信念に溢れた言葉だったという。

野田和男氏
2025年7月に正式発足から1年を迎えるプロジェクトは、早くも成果を挙げつつある。今回、両氏とともに来日したアウレリ・バダムリーザ選手、クィーン・チェルシー・ニカゼ選手、シルビ・イラコゼ選手は、いずれもゴルフ未経験からアフリカ大陸内の大会での入賞を果たすなど、頭角を現しつつある新星だ。特にイラコゼ選手の「2025年2月ルワンダオープン初出場、最年少(18才)初優勝」の記録は快挙と言える。両氏にこれまでの歩みと日々の取り組みについて聞いた。
オ氏:野田さんのお誘いには、私には未知のアフリカということもあって大いに悩んだのですが、これほどのチャレンジは二度とないだろうと考え、思い切って踏み出しました。アジアとはまるで違う文化に苦戦していますが、それだけに情熱も掻き立てられる毎日です。例えば、初めての村を訪れたとき、「モズング」と言われながら眺め回される経験を何度かしました。「モズング」は「外国人」、ニュアンスとしては「外人」が近い言葉です。ですが、「ナラムチェ!」と一言挨拶をすれば、遠巻きにしていた顔が一斉に笑顔に変わる。ルワンダの人々はそうした風通しのいい精神性を持っています。ですから私も、伸びる練習生は本気で叱り、腹を割って付き合うようにしています。
野田氏:驚いたのはやはり彼女たちの身体能力です。選手のリクルートの為にルワンダ全国各地を回った際、全くゴルフを知らない女の子ばかりを集めて”地面に置いたサッカーボールを野球のバットで打つテスト”を行った時の話しです。オコーチが一度だけ見本を見せた後に(説明は一切なしで)同じ動作をやってもらったのですが、プロ顔負けの完璧なスイングをする17歳の女の子がいたことがありました。私たちにとっては、ただただ、信じられない光景で、未だになぜそのようなことが起こるのかはっきりとは理解できていないのですが、おそらく農業や水汲みなど、日々の生活に体を使う作業が多いためなのではないかと推察しています。小柄や細身の女性でも、力の出し方、使い方が分かっていると感じます。肌感ですが、10人に1人ぐらいの割合で、私たちの知る常識を遥かに超えるポテンシャルを持つ突出した女の子たちに出会います。これは驚異的な数字です。今回来日しているクィーンも細身ですが、体力を見るためのサッカーボールのスローイングで、驚異的な飛距離を出しました。

来日中も練習を欠かさないシーローたち。そのスイングの力強さに目を見張る。
オ氏:ただ、身体能力は非常に高いのですが、「急ぐ」という意識が希薄です。肉体労働が運動の基礎にあるせいかも知れませんが、とにかく省エネで動こうとしがちで、移動や日常的な動作に機敏さが欠けています。自動車が高級品で、長距離でも徒歩で移動するのが一般的だということも関係しているかも知れません。指導者仲間に相談したり、改めて指導を学び返したりと、試行錯誤しています。他国のプロ選手の実力にまだ触れていないことも課題で、早くにプロの世界の空気を味わわせることも、進歩につながるのではないかと考えています。また、今回来日した選手たちは式典や練習場の提供で温かい歓待を受けましたが、「この歓待を、プロジェクトの一員ではなく個人として受けられるアスリートになれ」と指導しています。
野田氏:ルワンダに特有の課題としては、根深い大虐殺の影響があります。プロジェクトには、かつて争い、今もわだかまりの残る二つの部族から参加者が集い、両部族の血を受け継ぐ者もいます。日常的に目立った対立はないのですが、些細なことで言い争いになった際に、部族間の怨恨に根差した禁句が飛び出してしまうようなことがある。ルワンダ人の女性マネージャーと共にケアに当たっていますが、一朝一夕に解決できる問題ではなく、難しいところです。ただ、アスリートとして共同生活をしていく中で、各人が少しずつ感情を制御し、仲間を尊重する態度を身に着けつつあるように思います。アスリートはレッスンに打ち込むだけでは不十分で、指導がない時間も自身を律する意識が必須ですが、そのトレーニングがいずれは、わだかまりを乗り越える一助になってくれるかも知れません。
野田氏:初回の募集では80人弱の応募者から6人採用したのですが、プロジェクトの知名度が高まっており、次回の募集では大きく応募が増えると見込んでいます。素晴らしいアスリートの卵がどれだけ集まるのか、本当にワクワクしています。多くの女性ゴルファーが育てば、いずれは女性コーチも生まれます。農業、観光、鉱物に続くルワンダの新たな産業として、ゴルフ関連雇用を生み出す。経済面ではそれが一つのビジョンです。さらに大きな構想としては、アフリカで韓国KLPGA の4部ツアーを開催するというものもあります。韓国ゴルフ界にもアフリカは有望なマーケットで、実現すれば、アフリカから韓国やアメリカを目指す選手のエントリーフィーでビジネスが可能です。
オ氏:現在は独自の練習場がなく、「キガリ・ゴルフリゾート&ヴィラ」のコースを有償でレンタルしている状態ですが、今後さらに多くのパートナーを得て、独自の練習場を作りたい。練習場があれば、ゴルフスクールで収入も得ることもできます。そのためには、やはり選手を次々と世界へ送り出す必要がある。強い選手が新たな練習生を呼び、ゴルフ関連産業が成長し、さらに優秀な選手が羽ばたいてゆく。ルワンダを始めとするアフリカ大陸に、いわば「ゴルフ選手工場」を作るのが私たちの目標です。また、アフリカ出身の強豪ゴルファーは多くいますが、その座は身体的には白人である男性選手に占められており、アフリカ出身かつ身体的に黒人である強豪は、男女ともにいません。その状況も覆したい。サッカーですでに前例ができています。ゴルフでは、私たちが最初の一穴を空けたいですね。

ロサンゼルスオリンピック参加を目指し、先ずは2028年まで挑戦が続く
海外での挑戦を考える若い世代に、両氏はこうエールを送る。
オ氏:ルワンダは、順を追って進めるやり方ではペースが遅すぎる土地ですが、韓国や日本では到底届かないような地位の人と、直接つながることもできる土地です。ある程度の資本と具体的なプランがあるなら、最短コースで実現を狙えるチャンスがあります。もちろん、アジアとは全く違う世界だという覚悟も必要になりますが。
野田氏:スポーツの分野では我々が教えられますが、ルワンダに学ぶべきことも数多くあります。特に、日本が世界において低位にあるジェンダーバランスは、その最たるものです。ルワンダのジェンダーバランスは内戦の産物でしかないとする意見も聞かれますが、戦禍を経て男性人口が減ったのは日本も同様で、その後日本は男性優位の社会に戻り、ルワンダは平等を追求する社会になりました。日本の若者が、ルワンダから学びを持ち帰ることもできると思います。
両氏とも「正直なところ、毎日が『どうしよう』の連続です」と笑うが、そんな両氏のもとで、シーローたちは着実に育ちつつある。ルワンダの社会に、新たな女性の生き方と産業をもたらそうとする壮大な試みは、今まさに羽ばたき始めたばかりだ。
プロジェクト公式HP: https://www.rwandagolfsheroesproject.com/
参考1:Rwanda Golf Sheroes Project highlighted Video
参考2:From Poverty to Dreams : The Journey of Rwanda’s Golf Sheroes
(撮影協力)ゴルフセンター三宮ベイ | つるやゴルフ
profile
(最右)オ・イファン氏
プロジェクト主催者兼ヘッドコーチ、韓国ソウル市に生まれ。18才から20才まで韓国ゴルフのナショナルチームのキャプテンを務める。兵役を経たのち指導者に転身、オーストラリアへ渡って選手指導に尽力し、これまでおよそ80人ものプロ選手を育ててきた。近年では、史上初のジュニアメジャー4冠を達成し、「天才少女」の呼び声も高い須藤弥勒選手の育成にも1年間携わった。
(中)今回来日したシーローたち
(最左)野田和男氏
メンタルコーチとビジネスリーダー、大学時代を神戸で過ごす。大学卒業後に株式会社リクルート人材センター(現:株式会社インディードリクルートパートナーズ)へ入社。転職カウンセリング等に従事したのち起業し、1990年代には携帯電話等の販売を手掛ける。事業は順調だったが、かねてマインドセットのパワフルさに関心を抱いていたところへ、コーチングの技法に出会って学びを深めた。同時期にゴルフを始め、はじめから「これは心のスポーツだ」と直感、その後は2003年に渡米し、ゴルフのメンタルゲーム・コーチングの第一人者とも言われるチャック・ホーガン氏に師事したのち、ゴルファーのサポートを手掛ける。オーストラリアのトップ男子プロであるグレッグ・チャマー氏をサポートし、同氏がこれまで果たせなかったアメリカPGAツアーでの初勝利を成し遂げた。