日本から遠く離れたアフリカと関わるビジネスを成り立たせるのは、容易なことではない。アフリカへの想いや社会課題解決への熱量を持つ人々はたくさんいる。ただ、「想い」だけではどうにもならない。筆者もその一人だ。国際協力を多くの人に伝えたいとの「想い」だけでは困難だと感じ、国際協力業界の中だけでは学び切れないビジネス経験を積み、「想い」をカタチに変えるため、国際協力業界を飛び出した。その中で“やりたいこと”と“できること”を明確にしながら、そのギャップを埋めるためのアクションを行ってきた。
人類発祥の地とも言われている東アフリカに位置するエチオピア。同国の最高品質の羊革を使用し、こだわり抜いたレザー商品を製造・販売しているラグジュアリーブランドのandu amet代表の鮫島弘子氏も「想い」をカタチに変えるため、2012年2月に創業。2023年には公益性の高い事業に与えられる国際認証 Bコープを取得するなど社会や環境に配慮した経営を続け、2025年には新しいチャレンジを計画しているという。今回、創業までのストーリーと経営者としてのビジネスとの向き合い方、そして今後のビジョンについて話を伺った。
ビジネスは誰かの、もしくは社会にある課題を解決することで、対価を得ている。鮫島氏の事業を立ち上げるきっかけとなった、もしくは事業を通じて解決したいと思った現実とは何だろうか。
鮫島氏「andu ametでは、何かひとつの課題というより、これまで私自身が問題意識を感じたいくつかの課題を複合的に解決したいと思っているんです」
鮫島氏が社会に出て、まず直面した現実は「大量生産、大量消費」だった。
鮫島氏は新卒で化粧品メーカーのデザイナーとしてキャリアをスタートした。同業界ではシーズンごとに次々と新商品が発表されていく。しかし、それらすべてが完売するわけではなく、売れ残った商品の中には、新商品に押し出される形で新品のまま廃棄されるものも少なくない。この仕組みは、大量生産消費を前提とする業界ではどこも当たり前になっていたし、簡単に変えられるシステムではなかった。
鮫島氏「2年3年と働き続けるうちに、自分はこのまま一生、“綺麗なごみ”を作る仕事を続けるのだろうかと悶々とするようになりました。そしてさまざまな人と会ったり本を読んだりして、自分にできることを模索していきました」
その数ある出会いの中から、1つの転機となったのが独立行政法人国際協力機構のJICA海外協力隊(以下、協力隊)だった。このキャリア選択をした背景には、鮫島氏が思春期の頃に考え悩んだ世界の貧困問題というさらに別の現実があった。
鮫島氏「家族の仕事の都合で、戦時下のイランに住んでいたことがありました。車移動していると、停車するごとに車にモノを乞うために寄ってくる子どもたちがやってくるんです。皆ボロボロの服を着ていて、中には手足がない子もいました。この車の窓ガラスを隔てて、私たちの側と彼・彼女たちの側でどうしてこんなにも置かれている状況が違うのだろう。何がこの違いを生みだしているのだろう。と熱が出るほど考え込んだことも。その光景がずっと忘れられなかったのです」
デザインという自分が唯一持っていたスキルを、そんな途上国の貧困問題に役立てられないだろうか、という期待を抱いて協力隊への参加を決意、エチオピアへの派遣が決まる。
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エチオピア派遣当時の様子
当時のエチオピアには、住居から職場である工芸品センターまでの1時間程度の道のりに、栄養失調状態の人が数多く倒れていた。かつて住んでいたイランよりもさらに深刻な貧困状況であることに衝撃を受けた。そうした貧困の状況が決して、その人たちが選択してなっているわけではないことも見えてきた。
そんな中で見えたのが、3つ目の現実「援助の難しさ」であった。最貧国だからこそ多くの国から多額の支援が投入されるが、それらが援助慣れをおこしていたのだ。勤務先の工芸品センターにも長年援助が入っており、現地職員の働くことへの意欲は薄かった。
鮫島氏「目の前には支援を必要な人としている人がいる。でも支援が問題をより深刻化させている部分も目にして『一体、どうすれば良いのだろうか』と混乱しました」
andu ametの原点に、こうした、大量生産・大量消費、絶対的な貧困、援助だけでは問題解決できない国際協力の難しさ、という現実と向き合い、ビジネスを通じて挑戦し続けている鮫島氏の想いが垣間見えた。
エチオピアの工芸品センターの実態を目の当たりにする中、鮫島氏はタンザニアを訪れる機会を得た。何かのヒントになればと同国の工芸品店を視察したところ、観光立国であるタンザニアにはエチオピアとは比べものにならないくらい数多くの魅力的な商品が並んでいて、鮫島氏を驚かせた。
鮫島氏「それまで“エチオピアではできなくても仕方ない”と思い込んでいましたが、タンザニアでこんな素敵なモノが作ることができるなら、エチオピアでも作れるはず。現地の人たちと一緒にできることを探そう。と決意したんです」
エチオピアへ戻った後、一緒にモノづくりができる現地の仲間を募り、ファッションショーを開催。エチオピアの文化や価値観を取り入れたデザインを鮫島が、縫製をエチオピアの職人が担った。現地職人たちは「新しいデザインの知識や技術など、エチオピアで生活していただけでは知りえなかったことを知ることができた。だから、こうして参加できただけでも嬉しいんだ」と時間を度外視して取り組んでくれるほどの熱量をおびていた。素材はエチオピア産のレザーをはじめ同国で調達可能な素材のみを使用した。その結果ショーは大成功をおさめ、連日現地のメディアで紹介されたり、在エチオピア日本大使館から「エチオピア・日本の友好史上に残る偉大な功績」と表彰を受けたりした。さらに作品たちは、直後に開催した展示会で飛ぶように売れた。
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エチオピアでのファッションショー
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ショーの準備
鮫島氏「このファッションショーと展示会を経て、“作るひとも使うひとも、誰もが幸福になるものづくり”は実現可能なんだ、という手応えを感じました。ただ当時は、起業は特別優秀な人や資金力のある人がすること、というイメージを持っていたので、この時点ではまだ、自分で起業するなんて全く考えてもいなかったです」
このファッションショーがandu amet立ち上げの原体験になる。
ぼんやりとした手応えを起業への決意に変えたのは、エチオピアでの協力隊の任期終了後に参加した、ガーナでの短期ボランティアでの経験だった。
鮫島氏「正直なところ、当初はエチオピア以外のアフリカを体験してみたいな、くらいのゆるい気持ちでガーナに行ったのですが、そこでビジネスには人を変えられる力があることを体験したのです」
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ガーナでの短期ボランティア時の様子
ガーナでの任地は、奴隷貿易時代に大量に輸入されたトレードビーズを模して作られていたリサイクルビーズの産地であった。そこでそれらを活用して、ネックレスやイヤリングなどのジュエリーをデザインし、職業訓練校の女子学生たちに制作指導した。授業中に作られた作品の一部を外国人がくるような地元のカフェやJICA事務所で販売させてもらった。売上げは制作を担当した生徒に直接還元していたのだが、クオリティの違いで売上げが大きく異なることを目の当たりにした生徒たちの授業態度が一変した。
鮫島氏「『たくさん売れてるあの子の製品と私の製品では何が違うのか』『どうしたら、もっと売上が立つのか』と、これまで遅刻したり、やる気のない授業態度だったりした生徒たちが、遅刻もせず、むしろ早く学校に来て、質問してきたり、前のめりで授業へ参加するようになったりしました。その時にビジネスの力を実感し、自分がこれまで抱いてきた課題感の解決に向けて事業を起こそうと思いました」
ただ、これまでデザイナーを生業としてきたこともあり、それ以外のことには疎かった鮫島氏。そこで、ガーナから帰国後、まず世界的なブランド企業に就職し、ビジネスを一から学ぶことにした。
鮫島氏「この時点で、『ものづくりで事業をするなら、ラグジュアリーなブランドにしよう』とは決めていたんです。途上国の貧困問題だけでなく、大量生産・大量消費の課題にも取り組みたかったので。シーズンごとにどんどん作られては簡単に廃棄されてしまうものではなく、心から憧れられ求められて、手に入れてもらったあとは、お手入れをしながら何年も大切に使ってもらえるような、少量生産・高付加価値の“息の長いモノ”を作りたい。そのためには素材もデザインも縫製技術も理念も仕組みも“本当に良いモノ”にしないといけないと考えました。そこで世界的に評価されているトップブランドに就職し、そのノウハウを学ぶことにしました」
実際、入社後は所属先のマーケティング部を中心にPR、広告、人材育成、デザインなど、さまざまなチームと関わることでブランドビジネスについて全方向から学ぶことができた。また世界トップレベルのクリエイターやパリ本部のマーケティング部門とやり取りをしながら、商品が企画にあがり、さまざまなプロトタイプを経て完成品になるまでのプロセスを見ることができたのも大きな収穫だったという。
ブランド企業での経験を経て、鮫島氏は2010年からエチオピアの現地パートナーと共にモノづくりをスタート。2012年2月に株式会社andu ametを創業した。
鮫島氏「エチオピアでの起業を選んだ理由は二つあります。現地の人たちの暖かさや誇り高さに惹かれたこと。それから羊革の品質が間違いなく素晴らしいと思えたこと」
協力隊時代にエチオピア国内の皮革店でよく目にしていた羊革は、品質が良いとは言える品物ではなかった。しかしファッションショーを企画した際に、輸出用の羊革に初めて触れる機会があり、その品質の高さに驚いたとともに、良いモノは海外に流出してしまう現実も目にした。
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創業当時のandu amet
鮫島氏「当時、輸出用の羊革に触れた際に、エチオピア国内に出回っている羊革とこんなにも違うのかと驚きましたし、こんなに良い革(レザー)は見たことない、この革をもっと多くの人に紹介したいと感じました。
また、エチオピアではその高品質な羊革を使った最終製品はほとんど作られておらず、原皮の状態で海外に輸出されていました。製品というのは最終加工地が生産地になりますから、その原皮がイタリアでなめされればイタリア製品の革に、フランスで縫製されればフランス製のバッグになります。ヨーロッパ諸国のブランドは有名になりますが、原料の輸出国であり続ける限りエチオピアの名は知られる機会がありません。もちろん技術も育たないし、お金も落ちません。
だからこそ、エチオピアで品質の高いモノづくりをして、良いレザー商品がエチオピアの名前とともに世界に出ていかないといけないと考えました。そうすることで、経済的にも発展するし、現地の職人・デザイナーの技術力もついてくる。それがフェアトレードになると考えました」
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現在のandu ametの様子
そして、エチオピアでの事業を立ち上げ、ビジネスモデルを確立していった中にandu ametとしてのこだわっていることが、いくつかあるという。その一つが、 “ラグジュアリーブランドとしての意志” だという。
鮫島氏「さきほども述べたとおり、andu ametでは創業以来“ラグジュアリ―ブランド”であることにこだわっています。大量生産・消費ではないものづくりを追求しようとすると、必然的にそうなるのです。ただ、そのためにはアフリカが好きな人やフェアトレードに関心が高い人だけではなく、ファッションが好きで、普段からラグジュアリーブランドに接している人、審美眼を持っている人にその価値を認められ、選ばれるようにならなければいけません。現実的にはエチオピア特有の課題も山のようにありますから、それは簡単なことではありません。でもエチオピアならではの強み、魅力もあります。それから少数精鋭のチームならではのエッジの効かせ方もあります。既存の常識にとらわれず、新しい時代のラグジュアリーを追求したいと思っています」
実際、商品を試着し、エチオピア羊革の強度を体験したが、ジャケットは非常に軽く耐久性もあり、長く愛用したいと思わせてくれる商品だ。鮫島氏が何ごとも体験することで気づきを得てきたように、多くの人に店舗にも足を運んで、実物を実体験してもらいたい。
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andu amet初のレザーメンズジャケットとして先日発売された「Celest」は強度も着心地も申し分ない(筆者試着)
鮫島氏「会社が10年目を迎えるあたりから、今後の事業方針についてじっくりと考えるようになりました。
事業を成長させるために、どんどん作り、売っていくのはどうしても違うなと違和感を覚えたわけです。もともと大量生産・大量消費に疑問を感じ、そうではないことがしたくて起業したわけですから。一方で、会社の責任は年々大きくなっていくし、ソーシャルインパクトを拡大したいという気持ちはありました。
この矛盾に向き合う中で、“モノ”そのものではなく、“モノづくりを通じて得た知見を多くの人たちにシェアする“ということができるのではないかと思いついたんです」
ちょうどその頃、日本社会では大企業を中心にSDGs(持続可能な開発目標)やESGなどがこれまで以上に重視されるようになり、サステナビリティ推進室といった組織が立ち上げ始められた時期で、そうした企業の担当者と話す機会が増えていた。いくつかの企業と面談を重ねていく中で、「SDGsへの対応を」と言われて、どうして良いのかわからず、思いつく寄付活動などに取り組むも、時にその活動が現地に悪影響をあたえてしまっているケースもあった。
鮫島氏「サステナビリティをすすめる上で重要なのは、現場で何がおきているかを正しく知ること、そして行ったアクションが社会や環境にどのような影響を与えているかをきちんと調査、分析することです。そのためには現場を視察し、現地の人の声に耳を傾ける必要がありますが、すべての社員を現場に送るというのは、時間や資金などの制約上簡単ではありません。それならば、私たちがアフリカに実際に住み、ビジネスを進めてきた10年間をぎゅっと濃縮して、オンラインによる<バーチャル・インターンシップ>というコンテンツにしてみなさんに擬似体験していただくのがおもしろいんじゃないか。今後サステナビリティを推進しようとしている企業にとっても大いに参考になるのではないか、と考えました。」
andu ametは「真の美しさと豊かさを、すべての人へ」というパーパスを掲げて、モノづくりに励む生産者の人たちと、andu ametの商品を手にする多くの人たちに“真の美しさと豊かさ”を創業時から提供しつづけてきた。これからは、そのモノづくりに加え、コトづくりにも乗り出し、「豊かさとは」「サステナビリティとは」などを、多くの人に考えてもらう機会を提供していく。
鮫島氏「そこから生まれてくるビジネスは、大きなソーシャルインパクトを持ったコトに違いないと思います」
andu ametの次のステージに向けて、豊かなコトづくりへの挑戦が、2025年から本格スタートする。
profile
鮫島 弘子
Hiroko Samejima
東京都出身。幼少の頃より、利他の精神でひとと接する祖母の姿に接し強い影響を受ける。幼少期をイラン・イラク戦争時代のイランで過ごす。日本で進学後、デザイナーとして化粧品メーカーに勤務。しかし、美しいものを作っては捨てる大量生産・消費社会に疑問を抱き、ボランティアとしてエチオピア・ガーナへ。現地でファッションショーなどを企画・開催する中で、世界最高峰のエチオピアシープスキンや優秀な職人たちと出会う一方、加工技術が未成熟であるが故、高品質なレザーが安価な原皮のまま先進国に輸出され、グローバルブランドにより高級品として生まれ変わる社会構造を目の当たりにする。帰国後、CHANEL株式会社のマーケティング担当を経て、2012年、エシカルでリュクスなレザーブランド株式会社andu ametを設立。レザーの調達から生産、販売に至るサプライチェーンの全てにおいてサステナビリティを追求。その功績が高く評価され、数々の賞を受賞。現在は、生産国であるエチオピアと日本を行き来する傍ら、エシカルファッションのフロンティアとして国内外での講演活動にも精力的に取り組む。