「ICT4D教科書翻訳プロジェクト」 デジタル技術と国際開発のより良い未来を切り拓く

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ICT4Dの普遍的な原理原則を説く日本語翻訳本がついに完成。 監訳者・竹内氏の想いとは

皆さんは「ICT4D」という言葉をご存じだろうか?

正式には「Information and Communication Technology for Development.」――情報通信技術(IT・ICT)の活用を通じて、開発途上国を中心とする国や地域の社会的・経済的な発展を図るという概念や取り組みを指す言葉であり、2030年までのSDGs(持続可能な開発目標)達成に向けても、今、大きな注目を集めている分野だ。

インターネットやスマートフォン、タブレット端末、ソーシャルメディア、クラウドなど、ICTの進化は私たちを取り巻く環境を大きく変えてきた。社会や経済、コミュニケーション、ワークスタイル、ライフスタイルなどさまざまな分野を発展させ、もはやICTなくしては未来を語れないほどの影響力を持つ。

国際開発もそのひとつ。ICTがもたらす雇用創出や経済活動の促進が、開発途上国における国際協力の重要な柱となっている。

「しかし、政府や援助機関の認識と現場のリアリティーには大きなギャップがあり、そこに、開発を阻む“落とし穴”が潜んでいる」と話すのは、神戸情報大学院大学でICT4D 基礎論を教える客員教授であり、ブログサイト『ICT for Development .JP(ICT4D.JP)』、オンラインコミュニティ『ICT4D Lab』の企画・運営者でもある竹内知成氏だ。

青年海外協力隊やJICA職員としての経験と、英国マンチェスター大学大学院での学びを経て、「ICT4Dプロジェクトを成功に導くための、日本語の教科書をつくりたい」と、仲間とともに恩師リチャード・ヒークス教授の著書『Information Communication Technology for Development』の翻訳を開始。

監訳者としてメンバーをまとめつつ、2022年3月30日、書籍『デジタル技術と国際開発』としてついに出版をスタートさせた。「ICT4Dの普遍的な原理原則を、日本語で初めて体系化した一冊になるはず」と、意気込みを見せる竹内氏。その、日本語翻訳に込めた想いと、出版に至るまでの物語について伺った。

 

出発点は、エチオピアの田舎町の高校。国際協力の“リアル”と向き合った原体験

私とICT4Dとの出会いは、青年海外協力隊に参加し、エチオピア連邦民主共和国(以下、エチオピア)の田舎町の高校でIT教師を務めていた2003年。ちょうどこの年、エチオピア政府は遠隔授業を開始し、校庭には大きなパラボラアンテナ、各教室には大きな液晶モニターなど立派な機材が設置されました。そして、主要科目の授業が首都アジスアベバから配信され、それまで教師が黒板に板書するという授業スタイルから、カラフルな地図や実験風景等が盛り込まれた映像を見ながら、画面の中の教師の話を聞くという授業スタイルに変化。それはまさに目を見張る革命と言えるものでした。

青年海外協力隊としてエチオピアで活動していた時代の竹内氏

しかしその一方で、首都から400km離れたその町は週に2日間も計画停電をするぐらい電力供給が不安定で、ネット環境もトラブル続き。学生の多くは画面のなかで外国人教師が話すネイティブ英語の聞き取りに苦戦している様子。また、立派なプリンターが備わっていても、紙やインクが高額なため教材のプリントアウトは原則禁止。政府が想い描く遠隔授業の理想像と教育現場の現実の間にあるギャップの大きさを目の当たりにしました。

都会にいても田舎にいても同じクオリティーの授業を受けられるICTの可能性を感じると同時に、単に技術だけを持ち込んでも上手く機能しないという課題山積の現場。「一体どうすれば上手くいくのだろうか」と、打開策を見つけるために情報収集を行い、そして知ったのがICT4Dという分野でした。

協力隊としての活動の後、在エチオピア日本大使館にて「草の根・人間の安全保障無償資金」に関わる業務を担当し、現地NGOのさまざまなプロジェクト支援に携わった後、本格的にICT4Dを学ぶために留学を決意。そして偶然にも、マンチェスター大学ではヒークス教授のICT4Dコースが正式にスタートしたところで、私にとってまさにジャストタイミングでしたね。2007~8年の1年間、ヒークス教授のもとで学ぶなかで、後にブログサイトを一緒に立ち上げる橋爪麻紀子さんとの出会いもありました。エチオピアでの原体験が自分自身を突き動かす原動力となり、ICT4Dを基軸とした現在の活動へとつながっていったのです。

留学時代の竹内氏(左)

 

長年抱き続けてきた問いに、答えを示してくれたヒークス教授の本

世界各国から集まった学生とともに学んだ1年間の修士課程を終え、帰国したのは2008年。まず、感じたのは「ICT4Dに関する日本語の情報があまりにも少ない」ということでした。そこで、前出の橋爪さんからの「情報がないなら一緒に書かない?」という一言をきっかけに、2009年、ブログサイト『ICT for Development .JP』を開設。ICT4Dに関する世界中のトピックについてコツコツとブログを書きながら、2010年に国際協力機構(JICA)に入構し、2013年からは神戸情報大学院大学(KIC)の「ICTイノベータコース」にてICT4D基礎論を担当。ヒークス教授のもとで学んだICT4Dの原理原則と、JICAでの実務で得た経験と教訓を統合させた授業を展開するようになりました。

そして2018年、恩師ヒークス教授が一冊の本『Information Communication Technology for Development』を出版します。本書はICT4Dを包括的に捉えたものであり、普遍的な原理原則を体系化し、ICT4Dに関する取り組みの「基本」となる内容。それまでに世の中に出ていたさまざまなICT4Dの書籍とは一線を画し、私自身が長年抱いてきた「開発途上国におけるデジタル技術の活用を上手くやるには、どうすればよいか?」という問いに答えるための様々な視点を教示してくれるものだったのです。

私が英国で学んだ2008年からまさに10年の時間が経っていましたが、ヒークス教授の示す原理原則は時を経ても変わらず、少しも色褪せないことに感動を覚えましたね。そして「この本を日本語にして、日本の国際開発関係者やIT業界の人たちに届けたい!」という想いが生まれました。

困難な道のりを開き、支えてくれたのは、志を同じくする仲間たち

ところが、本書は非常に難解で428頁ものボリュームがある重厚な一冊。出版経験も翻訳経験もない私が一人で翻訳出版できるわけもなく、漠然とした思いを抱えたまま立ち往生の状態が続きました。

そんな状況を打開してくれたのが、2019年、JICAで出会った狩野剛氏とともに立ち上げた、オンライン・コミュニティ『ICT4D Lab』の存在です。ICT4Dに関心のある人たちが業界の垣根を超えてフランクに交流するLabには国際機関や JICA等での 国際開発の実務経験者や IT 企業の技術者等、多様なメンバーが集まっており、さらには、マンチェスター大学大学院でヒークス教授からICT4Dを学んだメンバーも集結。「このメンバーと力を合わせれば、翻訳出版も実現できる!」――そうして、ICT4D教科書翻訳プロジェクトがスタートしました。

翻訳を担当するメンバーは、私を含めマンチェスター大学ICT4D卒業生4名を含む15名。まず最初に、全員が一定の理解と共通認識のもと翻訳作業に入れるように、実際に『Information Communication Technology for Development』を使ったヒークス教授の授業を受けたLabメンバーによる、マンチェスター大学大学院での授業内容を再現したミニレクチャーを複数回実施しました。

そのほか、日本での出版社探しやそのための企画書作成・交渉をはじめ、版権を持つ英国出版社との調整など、やるべき課題は山積。私自身は監訳者として全翻訳文のチェックや統轄作業と本当に大変でしたが、仲間のお陰ですべてを乗り越えることができたと思います。

住んでいる国や地域、職業や活動時間など、すべてバラバラのメンバーが力を合わせることができたのも、ネット環境や情報共有ツール、仲間が集結するオンラインミーティングなど、言わばICTがあってこそ。このプロジェクト自体が、ICT を活用した好事例だと言えますね。そして何より、さまざまな個性や能力、価値観を持つメンバーが力を合わせることで視野が広がり、一人では成し遂げられない大きな成果につながったのではないでしょうか。

首都圏在住メンバー
ICT4D分野を学びたい人はもちろん、世界の未来を考えるすべての人に届けたい

2019年のスタートから約3年間、ついに日本語翻訳本『デジタル技術と国際開発』が出版されました。

実は、この本の出版を考え始めたことをブログに書いた時に「日本語になるなら、教科書として採用します!」という力強いメッセージをくださった大学教員の方もいて、そういった方々の応援が出版への道筋の大きな力になりました。その言葉通り、いくつかの教育機関への納入が決定した他、多くの問い合わせをいただくという嬉しい状況になっています。

もちろん、この本をぜひ読んでいただきたいのは、大学をはじめとする教育機関だけではありません。現在、さまざまな形で国際協力の事業に携わっておられる方々、そして、IT業界に身を置きつつも、デジタル技術を用いて国際開発や途上国ビジネスを目指すエンジニアの方々すべてに、ぜひ手に取っていただきたいですね。

日々進化するICTを活用した国際開発には、現状とのギャップゆえに生まれる未知のリスク――“落とし穴”が潜んでいます。今回、作家・ジャーナリストの佐々木俊尚さんが帯コメントに書いてくださった「テクノロジーを導入するだけで、社会問題がすぐに解決するわけじゃない。プロセスの中に、テクノロジーをどう適切に組み込むかが大事なんだ」という言葉は、まさに本書のキーメッセージを表現していると思います。そして、本書が示す原理原則を理解し広い視野を持つことで、“落とし穴”を回避し、より的確にプロジェクトを成功に導くことができるでしょう。

出版イベントも完全オンラインにて開催

5月14日(土)にはオンライン出版イベントが開催し、多くの方に参加いただきました。(こちらから動画をご覧になれます。)ICT4Dを現地に導入する際の最適なモデルに関するご質問や、政府レベルの議論への本書の活用を期待する声などもあり、うれしく思います。今後、本書を使ってICT4Dを勉強するオンライン講座を開設するなど、また新たな動きに向けて動き始めている『ICT4D Lab』。

「デジタル技術と国際開発」オンラインコース開催!

出発地点だったエチオピアの田舎町と子どもたちを時折思い出しながら、チームの力で発信する新たな価値提案を、まだまだ続けていきたいです。

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